我が敬愛するミュージシャンたち

四人囃子


 四人囃子。この名前に反応する人は、今ではかなりのロック通かマニアということになってしまうのだろう。確かに、70年代日本のロック創生期に活躍した伝説のバンドであるのだが、当時の人気ぶりを知っている者としては、ろくに再評価もされずにほったらかされている現在の状況が歯がゆくもあり、不思議でもある。日本のロックバンドといえば、俎上に上がるのは、はっぴいえんどばかり。若いミュージシャンがその影響を口にしたり、もろはっぴいえんど、という音楽をやったりしているので、よけいにはっぴいえんどばかりが注目されてしまうということもある。メンバーに今でも活躍する有名人がいなかったからでは、などと言う人もいるが、それならサディスティック・ミカ・バンドももっと注目されていいはずだし、四人囃子だって今売れっ子プロデューサーとして飛ぶ鳥落とす勢いの佐久間正英が在籍していたのだ。ちっとは、話題になってもよかろう。「あの佐久間正英が在籍した伝説のロックバンド」とか何とか帯に派手に書いて、四人囃子のアルバムを廉価版で再発するくらいのことをしたってバチは当たらない、と思うのだが。とにかく、今は伝説扱いだが、70年代半ば四人囃子は日本のトップバンドとして、高い評価と人気を得ていた。高い人気と言っても、メジャーデビューしたばかりのバンドがいきなり武道館でコンサートをやってしまう現在とは比較にならない程度のものだが、この頃のミュージックライフの人気投票では、クリエイション、紫あたりと一位争いをしていたものだ。
 ここでは、四人囃子の一ファンとして、彼らの事をもっとアピールしたいと思う。まず、四人囃子の簡単な歴史のおさらいから始めたい。


1.四人囃子の歴史を振り返る


 四人囃子が結成されたのは、1971年のこと。結成時のメンバーは、森園勝敏(G,Vo)、岡井大二(Ds)、中村真一(Bs)、坂下秀実(Key)、の四人。当時全員高校生だったという。結成翌年、フラワー・トラベリン・バンド(日本のバンドです、ジョー山中とか在籍していた)の前座として全国を廻って注目を集め、何でもピンク・フロイトの「エコーズ」を完璧に演奏できる高校生バンドとして知られていたそうだ。1973年、東宝レコードと契約、映画『二十歳の原点』のサウンドトラックを担当し、デビューを果たす。本格的なデビューアルバムは1974年の『一触即発』で、これで評価を決定づけた彼らはマイペースで活動を続け、1975年2月に茂木由多加(Key)を加え5人編成となるが、この年の5月に中村が脱退(この辺の事情はよく知らないが、家業を継ぐ為と言われている)、ここで後任に入るのが佐久間正英である。そして9月、シングル「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」を発売するが、茂木が脱退し、また四人編成となる。この1975年はバンドにとってゴタゴタ続きであったが、翌1976年さらに大きな問題が持ち上がる。5月にセカンドアルバム『ゴールデン・ピクニックス』を発売し、メンバー自らラジオ番組などにも出演してプロモーション活動をしていたが、なんと中心人物の森園が脱退してしまうのである。彼の脱退はイコール解散を意味したが、残ったメンバーはバンドを続けることを選択し、翌年佐藤満が新メンバーとして加入し、アルバム『Printed Jelly』を発表して全国ツアーも行う。こうして息を吹き返した四人囃子は、翌1978年には4枚目のアルバム『包』(この年、1973年のライブを収録した『’73四人囃子』も出ている)、1979年には『NEO−N』と順調にアルバムを発表する。ただ、『NEO−N』制作前に坂下が脱退し、茂木が復帰してレコーディングを行うというゴタゴタもあり、また佐久間が1980年プラスティックスの結成に参加したりして、バンドはバラバラになっていたようだ。結局、正式な発表があったのかなかったのか、という状況の中、四人囃子は解散し、メンバーはそれぞれの活動を始める。佐久間や茂木はプロデューサー、アレンジャーとしてアイドル歌手のレコード制作にかかわっていく。佐久間に関しては後にプロデューサーとして大成功するのは、御存知の通り。岡井、坂下はセッション活動などをする一方、一時期ペグモというバンドにも在籍した。あまり売れなかったが、当時CMに曲が流れていたこともある。森園、佐藤の両ギタリストについては、80年代どういう活動をしていたのか、不勉強ながら僕はよく知らない。こうして時は流れて1989年、突如四人囃子は復活し、7月に再結成アルバム『Dance』を発表する。メンバーは佐久間、岡井、坂下の3人。何故再結成したのかは不明だが、聞く所によると、1988年の終わりに四人囃子のアルバムがCD化されてよく売れたこと(六本木のWAVEでは、『一触即発』がCD売り上げトップに立ったこともあるらしい)、つまり四人囃子の再評価の気運が高まりつつあった、というのが大きな理由らしい。ま、とにかく、再結成アルバムを発表後、9月にはなんとMZA有明でライブを行うのである。レコーディングには参加しなかった森園、佐藤もこのライブには出演し、ファンに大きな声援をもって迎えられた。この時の模様はCDとビデオ両方が発売され、そのハイレベルな演奏が楽しめる。ただ、この再結成ライブ以降また四人囃子として活動することはなかった。1999年9月、日比谷野音でのチャリティライブに四人囃子として出演(メンバーは、森園、佐藤、佐久間、岡井、坂下)したそうだが、これが3回目の再結成かと思いきや、その後何の動きもない。


2.アルバム紹介


 アーリー・デイズ(二十歳の原点+未発表ライブ)
アーリー・デイズ
映画『二十歳の原点』のサントラが四人囃子のいわばメジャーデビュー作となる。サントラ
ということで色々制約もあったと思われるが、ここでは映画のイメージを損ねることなく独
自のサウントを作り出していて、仲々したたかな所も見せている。森園一人が生ギターで
弾き語りする曲が多いが、当時の四畳半フォークともCSN風とも違う雰囲気を醸し出し
ており、この頃としてはかなり日本人離れしたセンスを持っていたことを窺わせる。このサ
ントラは、1998年に当時のライブ音源をプラスしてCD化された。
   
 一触即発
一触即発
実質的なファーストアルバム。間違いなく日本のロックが残した後世に伝えるべき傑作で
ある。ピンク・フロイドなどプログレッシブ・ロックに大きな影響を受けており、複雑な曲構
成ながら冗長に流れないタイトル曲などは、洋楽プログレの方法論を見事なまでに翻訳
しており、彼らが高度な音楽性と技術、そして猿真似でないオリジナリティとアイデンティ
ティを兼ね備えていたことの証明である。また、2曲の大曲に隠れがちだが、ベースの中
村も優れたソングライターであった。当時、彼らが10代だったことを思うと驚異である。

 ゴールデン・ビクニックス
ゴールデン・ピクニックス
ストイックにロックを追求した印象のある1stと比べると、この2ndは非常にリラックスし
た雰囲気で遊び心が感じられる。ひとつ間違えば悪ふざけになってしまう所を、ギリギリ
のとこで押さえ、結果的には楽しいアルバムといっていいだろう。ビートルズの「フライン
グ」をカバーするセンスも余裕の現れか。LPのライナーには、メンバーの子供の頃のエ
ピソードとかが満載でこちらも面白かった。音的には、プログレというイメージの彼らが「
レディ・バイオレッタ」でフュージョン的なことをやっているのが興味深い。

 PRINTED JELLY
PRINTED JELLY
『一触即発』と並び彼らのキャリアの中では、欠かすことの出来ない名盤である。当HPの
「私選名盤100選」でも紹介しているので重複するかもしれないが、本作では抜けた森園
に代わって佐久間が中心となっており、全6曲中4曲を彼が書いている。新ギタリストの
佐藤はブルース臭の強かった森園に比べ、非常にハードなプレイを聞かせ、明らかにバ
ンドのイメージは変わった。そして、それは大正解だったのだ。LPのライナーで岡井が語
っている通り、四人囃子はよりストレートな音作りを目指し、そして名盤が誕生した。

 包
包
基本的に前作の延長線上にある作りだが、キーボードの比重が高くなったこと、バラエテ
ィに富んだ内容になったことで、非常にポップな印象を受ける。アルバムタイトルやジャケ
ットからイメージされる大陸的なものは、3曲収められたインストのタイトルや曲調に少し
感じ取れるだけである。聴き所は4人のメンバーが各々書いた曲を4曲並べたA面で、ど
れも完成度が高く、優秀なミュージシャンの集合体である四人囃子の面目躍如といった
所か。前述の通りポップなアルバムで、やりようによっては売れたのでは、と思わせる。

 ’73四人囃子
’73四人囃子
タイトル通り、1973年四人囃子メジャーデビュー前のライブ音源をレコード化したもので
ある。メンバーは森園、岡井、坂下、中村のオリジナルメンバーで、収録曲4曲のうち、3
曲までがのちにレコードで発表されたもので、彼らの音楽は早い段階で完成していたこと
が分かる。ハイライトはやはり「一触即発」で、1st収録のものとは若干構成が違うが、と
にかく物凄い迫力だ。少々音が悪いのが却って効果的で、場の熱気を伝えるのに成功し
ている。当時メンバーは19才だったそうだが、既に聞かせることに長けていた。

 NEO−N
SORRY,NO JACKET IMAGE
四人囃子最後となったアルバム。『包』で見せたキーボード重視の傾向がさらに強まり、
当時流行りつつあったテクノポップすれすれのサウンドとなっている。発表当時はその無
機質なサウンドに僕は拒否反応を起こしてしまったが、打ち込みに慣れた今の耳で聴い
てみると、意外と肉感的だったりする。佐藤のボーカルが以前と変わらず熱いものを感じ
させるせいだろう。最初の印象が悪かったせいで、僕はこのアルバムだけは持っていな
いのだが、今ちゃんと聴いてみようと、あちこち探している所である。

 DANCE
DANCE
DANCE、という言葉には楽しげなイメージと退廃的・刹那的イメージの両方を僕は感じ
るのだが、再結成四人囃子の『DANCE』は世紀末的デカダンスに満ちている。「一触即
発」の再現を期待するファンも多かったと思うが、このアルバムで披露された音楽は間違
いなく、『NEO−N』から10年、あのまま四人囃子が活動を続けていたら必然的にこんな
音楽になっただろう、と思わせるもので、再結成が、本人たちも言っていたように決してノ
スタルジーではないことを証明している。バンドはなくても、彼らは進化を続けていた。

 YONINBAYASHILIVEFULLHOUSEMATINEE
LIVEFULLHOUSEMATINEE
1989年9月MZA有明で2日間3回行われた再結成ライブを、ほぼ丸ごと収録したライ
ブアルバムである。『DANCE』の曲を新しいメンバーで最初と最後に演奏し、間に森園
佐藤両キダリストを加えて、「一色即発」「ハレソラ」など昔の曲を演奏するという構成であ
る。とにかく、昔からそうだが、このバンドの演奏力の高さ、豊富なアイデアと音楽性には
舌をまくばかりだ。古い曲も新しい曲も違和感なく聞けてしまうのもすごい。彼らが一貫し
たポリシーを持って音楽を作ってきたことの証明である。


3.そして総括


 長々と書いてきたが、これ位では四人囃子は語れない。それほど、奥の深いバンドなのである。僕は彼らのライブを見たことはないが(1989年の再結成ライブはビデオで見た)、古い写真などで見るステージ上の四人囃子は非常にカッコ良い。オーラすら漂っている。そこにはストイックで、純粋で、高い志と崇高な理想を持ち、自分たちの信じる音楽を追求し尚かつ聴く者を説得できる、バンドと聴衆との理想的な関係を求めた男達の姿がある。高い音楽性、聴かせるテクニック、時代性と普遍性という一種矛盾するものを両方取り込んだセンス、どれをとっても彼らは一流であり、ロックバンドの鑑であった。20年以上の歳月が流れても決して古ぼけることのない四人囃子の音楽を聴くたび、僕は彼らを理想としてバンド活動を始めたことを思いだし、そして今でも根っこに四人囃子の存在が消えてないことに気づいて感動すら覚えてしまう。J−POPという言葉で表現される今の日本のミュージックシーンで、四人囃子のような物凄いバンドが登場してこないことは、彼らを神格化することにはなるが、J−POPの将来に少し不安を感じたりもする。お手本として、四人囃子を知ることは音楽をやっていくには重要だろう。そういう意味では、四人囃子は唯一無比の存在であり、その業績を素直に評価し、後世に伝えていくことが我々の使命ではないか、などと思ったりもするのである。が、その反面、彼らを知る人ぞ知る存在のままにしておいて、若い連中に「四人囃子も知らないのか、それでロック聴いてますなんて10年早いぜ」なんて言ってみたい気持ちも少なからずあったりして、複雑だったりするのだ。
 
 四人囃子。その名は僕にとって、理想のそして究極のロックバンドの象徴である。


NOTE 2000.3.4



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