みんなの名盤

投稿No.124 fxhud402さんの

Youtube で見つけてうれしかったもの4
〜 COME BACK HERO 〜


番外編やらなんやらを挟んで久々の"Youtubeで見つけて…"第4弾はアイドル編。とはいえ、Youtubeはアイドル映像の夢の島である。いざ集めようとしても収拾がつかなくなってしまうような気がするので、ある一つのグループに絞って紹介してみよう。

そのグループとは、"セイントフォー"である。

セイントフォーの記憶を持つ者は幸せである…かどうかは知らないが(僕はなんかのCMで一瞬見たくらいの記憶しかない)、80年代アイドル史におけるバッドフィンガー的悲劇のヒロインとして、時が経つにつれ評価と幻想がバブル状態になっているグループである。

つまり、岩間沙織、浜田範子、鈴木幸恵、そして板谷祐三子の四人は公称約40億円という巨額の予算を投じたオーディションを通じて選び出され、二年にわたる厳しいレッスンを経て、そのオーディション自体を題材とする映画「ザ・オーディション」で華々しいデビューを飾ったのである。そのテーマ曲にして最初のシングルが、これだ。

不思議TOKYOシンデレラ
http://jp.youtube.com/watch?v=6_hMwEO7du8

不思議TOKYOシンデレラ(Live)
http://jp.youtube.com/watch?v=lZWHNraH9KI

詞は森雪之丞、曲はワイルドワンズの加瀬邦彦、プロデューサーには橋幸夫が就任し、発売元も橋が副社長を務めるリバスター音産であった。

それにしても"せわしない"映像である。あたかも、恐ろしい何かに追い立てられているような。そして曲の途中に、アクロバットというか、バック転を連発する。これが彼女等の売りであった。厳しいオーディションを潜り抜け、晴れてレッスンスタジオに足を踏み入れた彼女等に、事務所の社長はこう言い放った。

「お前等の仮想敵はジャッキー・チェンだ!」

以来、二段ベッドを2つ並べた四畳半一間の寝室とスタジオが、彼女等にとって世界の全てとなった。常に監視の目が光っており、つい近所の本屋に行ったりしようものなら、すかさずその店に連絡が入る。デビュー後もその中に仕事先が加わっただけであり、移動中に睡眠をとることも許されなかった。まさに、現代の角兵衛獅子である。しかし、ジャッキーをライバルとしているにもかかわらず、カンフー物のシングルが出なかったのは不思議である。やはり、レオタード調の衣装に象徴される「フラッシュダンス」路線も捨てるわけには行かなかったのだろう。

ハウス食品"ヤングジャワカレー"CM
http://jp.youtube.com/watch?v=szkEKOBAukE

僕が覚えている彼女等のCMはこれではない。もっとマイナーな会社のCMで、おもちゃとか文具系だったと思う。このCM自体は見覚えがあるが、出ていたのがセイントフォーだとは今回初めて知った。

太陽を抱きしめろ
http://jp.youtube.com/watch?v=tZNlAgW97jQ

チャート最高位を記録したというセカンド。運動神経が他のメンバーより一歩劣る板谷は、しょっちゅうバック転を失敗して頭を打ったりしていた。松葉杖でステージに立ったこともあったらしい。

ハイッ!先生
http://jp.youtube.com/watch?v=--Kbrr48lHA

アクロバットを引っ込めたコミカルな曲。でも独特のせわしなさは変わらない。アレンジはスピッツのプロデュースで知られる、ジャズピアニストの笹路正徳。

ハートジャックWAR
http://jp.youtube.com/watch?v=3DhRFn6z590

彼女等独特のせわしなさと曲がようやく噛み合い、こなれてきた印象の4th。しかしここに来て、4人の行く手に数々の問題が噴出しはじめたのである。その根幹は彼女等の所属する事務所の体質にあった。

その事務所は確かにタレントを抱えてはいた。しかしそれは彼女等4人と妹分としてステージに立っていたいわお潤だけであり、むしろ事業の実態は彼女等を鍛えたタレント養成学校の方にあったようだ。事務所はセイントフォーと「ザ・オーディション」を広告塔に全国規模でDMをばらまき、応募した女の子から高額な受験料を取ってオーディションを行い、合格した者にはレッスン料としてさらに高額な金銭を払い続けさせた。それはデビューを果たしてからも続き、その一方でタレントの月給は非常識に安く(一番多いときで10万円)、しかもその半分は事務所によってプールされ、手に渡ることはなかった。この事務所がいわゆる「悪徳」だったかどうかは分からない。しかし、タレント学校というよりは単なる集金システムと見られても仕方がないとは思う。

そんな実態がタレント志望の子達と親御さんに知れ渡るのに時間はかからなかった。見る間にオーディション会場やレッスンスタジオは閑古鳥が鳴き、スタッフの給料が止まりはじめる。しかも、レコード会社の移籍について事務所とリバスターとの関係がこじれ、裁判になってしまう。これによって、新曲をレコーディングしても発売できなくなってしまったのである。同時にマスコミへの露出も止まり(いかに事務所に力がなかったかがわかる)、彼女等の活躍の場は生のステージのみになってしまった。

しかし、彼女等の半径5mの状況は何ら変わっていなかった。それもそうなのだ、オーディションに受かって以来、ずっと極限状態だったのだから。リーダーである岩間はいろいろなことを知る立場にあったし、他のメンバーも何も見えていなかったとは思えないが、彼女等にとっての真実はもはやステージにしかなかったのだろう。4人はひたすら目の前のライブに没入していった。

しかし、ついに離脱者が出てしまう。

板谷が「実家に戻りたい」と廃業を申し出たのだ。メンバーも遺留に努めたが意思は固く、結局寝室のベッドは一つ空いた。しかし、間もなく目を疑う状況が彼女等を襲う。板谷が別の事務所から何食わぬ顔でデビューしたのだ。「元セイントフォー」の看板を掲げて…何のことはない、実家に帰るというのは嘘で、その実態は引き抜きだったのである。

これはメンバーを大いに動揺させた。もう長くマスコミに露出がない中で板谷がこういうデビューをするということは、ややもするとセイントフォーというグループが"終わった"とされる誤解を生みかねなかった。しかしそれ以上に、唯一信頼し合える仲間だった板谷が、周りの大人の手口に乗ってしまったのだ。残された三人の感情に亀裂が入り、殺伐とした空気が流れ始めた。

しかし、立ち止まるわけには行かなかった。妹分だったいわおをメンバーに加え、グループは4人体制を取り戻した。一方、独立した板谷はグラビアを中心に90年代後半まで活動を続けることになる。

そして、事務所は最後の賭けに出ようとしていた。つまり、「ザ・オーディション」に続く2本目の映画の製作である。

「やるときゃやるぜ!〜Come Back Hero〜」は、石黒賢、高木沙耶、バブルガム・ブラザーズらが出演するラブコメディでセイントフォーは本人役で出演、未発表の新曲5曲が作品内で使用された。そのひとつがこの曲である。

COME BACK HERO(Live)
http://jp.youtube.com/watch?v=BlkULUebog4

COME BACK HERO(映画のエンディング。一部の素材としてPVが使われている)
http://jp.youtube.com/watch?v=G6OP4l6glhY

…まぁ、いろんな見方ができるとは思う。素直に感動もできれば、置かれた立場を逆手に取ったあざとい悪あがきという見方もできる。しかし、ひたすらにトンネルを掘り続ける闇闘の末に、私たちが考える「アイドル」とはかなり違う、変な所から地上に出てしまった感は否めない。結局これらの曲がレコードとしてされることはなく、作品のビデオが発売される頃にセイントフォーはグループの歴史に幕を引いた。すでにいわおは事務所を去っており、彼女等に打倒ジャッキー・チェンを命じた社長は連絡がとれなくなっていた。その後いわおは90年代を代表するアニメ声優として活躍し、現在に至っている。一時は元LOOKの山本はるきちと結婚もした。

リーダーだった岩間は未払だった給料を取り立てると元から志していた女優への道を歩き出した。残った浜田と鈴木はロック・デュオ「ピンク・ジャガー」を結成してバックメンバーと行動を共にし、後にそれはCHABACCO(チャバッコ)というバンドに発展した。ピンク・ジャガーとしては2枚のシングルを出し、いか天に出場する話もあったが流れ、CHABACCO時代にはローソンにCDが置かれる話もあったが、これも未遂に終わっている。一説に行方をくらました社長による妨害があったとも言われるが定かではない。

CHABACCO解散後鈴木はメンバーの一人と結婚して家庭に入り、残った浜田はしばらく音楽活動をした後、グラビアで復帰した。一時は板谷、浜田、そして岩間のヌード写真集が本屋に並んだりもした。今も浜田と岩間は女優として確かな評価を受け、活動している。しかし、各メンバーにとってセイントフォー時代のことは一様に強いトラウマになっており、長い間精神的に不安定な状態が続いたという。頑として当時のことを話さないメンバーもいる。

日本の芸能史にセイントフォーが残した影は小さくも深い。しかし、その深さ故に引き付けられる者が後を絶たないのも、また事実である。

……というような妄想が世間に横行してるんじゃないかな〜、と思って、ウィキペディアなインタビュー記事をはじめ、いろんなとこからの伝聞をもとに構成してみました。事実誤認がほとんどだと思います。申し訳ありません。

ともかくですね、今回はもぅ「COME BACK HERO」。これの映像を観ていただいて、この「凄いんだけどなんか違う」感じを共有してもらえれば、それで本望でございますです。

ちなみに。
今回はほんとにアイドル特集をするつもりで、セイントフォーを含め30ちょいの映像をピックアップしていました。でもやっぱり収拾がつきそうにないので(爆)、巻頭特集扱いだったセイントフォーだけでやってみました。残りはまたやるかもしれませんが、多分やりません。僕自身はもう充分に映像を見たし、しんどいもん。親衛隊の野太い掛け声も一生分聞いたし。

でも見てて思ったのは泣いても笑ってもアイドルであれるのは一時。それまでも血で血を洗う戦争だけれど、むしろそこから先が本当の勝負だったりして。

本当に意思の強い人は何らかの形でずっとやってます。歌い続けている人もいれば、
http://jp.youtube.com/watch?v=JJWWVJCWqzg

脱いでからVシネマの女優として評価された人もいる。
http://jp.youtube.com/watch?v=FIk9gyGLz5I

家庭を持ちながらタレントとして活動したり、神社の夏祭りで歌っている人もいる。
http://jp.youtube.com/watch?v=OOdiFZy2un4

また、あえてスパッと身を引くことで、ファンの記憶に残るアイドルでいようとした人もいた。
http://jp.youtube.com/watch?v=IJmljWkzjbE

ある特定の作品の中でかけがえのない存在になった人もいる。
http://jp.youtube.com/watch?v=7d32PGgsfjc

そんな中で清水由貴子さんみたいに力尽きてしまう人もいるのは、本当に悔しくて悲しいのですが…。でも、アイドルは束の間の存在であると同時に永遠なのです。あなたのそばにも、あの頃のアイドルがいるかもしれない!



MFCオーナーの感想
fxhud402さん、いつもありがとうございます。今回もまた、すごいですね^^

80年代は、70年代以上にアイドル百花繚乱の時代だったように思いますが、当然有象無象いた訳で(笑)、古典的なアイドルもいたし、ニュータイプもいたし、本当にアイドルと呼んでいいのか迷ってしまうようなのもいた訳です。しかも、今のようにネットが一般的でない時代、ほとんどの人はテレビで情報を得ていた訳で、アイドルに関しても、現代のように地下世界で、一部のアイドルマニアを相手に活動しているようなタイプはおそらく皆無で、有象無象も全てテレビで露出させないと売れない、ということだったのか、とにかくテレビで色々なアイドルを見ました。もちろん、セイント・フォーもテレビで見て知ってました。

思えば、僕の記憶にあるセイント・フォーも、デビュー当時のスタイル、すなわちレオタードで歌い踊るグループでした。当時の印象でも、踊り(振り付け)というよりエアロビクスのような感じでした。あんなことよく出来るなぁ、なんて感心してたりして(笑) ステージでバック転やってたのは、覚えてないです^^; この度、YouTube映像見て初めて知りました。当時も、可愛いキレイとかいうアイドルとは違うものを感じてましたね。つーか、どのようなビジョンでグループが作られ、ターゲットはどの世代で、いかにして売っていくのか、というのが全く分かりませんでした(笑)。今回、fxhud402さんの投稿を読んで、「ああ、そういう事だったのか」と初めて納得した次第です(笑)

セイント・フォーは他のアイドルたちに比べると、アクションが大きい分、局内のスタジオでは危険だったのか(笑)、テレビで見た時も、大きなステージで歌ってるのしか記憶にありません。典型的アリーナタイプのアイドルだった訳ですね(意味不明)。ただ、それが失敗と見るや、路線を変更してきたのは、見事と言うしかないです。けど、「ハイッ先生」「ハートジャックWAR」は、初めて聴きました。こんなのもあったんだ、というのが正直な感想です。ちょっとソウルっぽい曲調の「ハートジャックWAR」なんて、この曲こそ間奏で軽くバック転なんかすればカッコいいのに、と思いました。デビュー当初は迷走してたコンセプトが徐々に固まり始めていた、という事なんでしょうか。そのまま続けていたらどうなっていたのでしょうね。興味深いです。今となっては、単なる“if”の話に過ぎませんが。

その後の、グループを襲った試練というか騒動というか、ありがちな話ではあります。辞めたメンバーが、他の事務所からデビューしてた、なんて話はもちろん初めて聞きました。いわゆる引き抜きという事ですが、既にメジャーデビューしててテレビでも露出してるタレントを引き抜こう、なんて発想が理解不能です(笑)。どちらのプロダクションも弱小だったんですかね。それと、その引き抜かれたメンバーは誰なのか、というのがイヤでも興味を引きますが、向かって一番左の眼鏡の子だったのは意外でした。可愛い云々はともかくとして、4人の中で一番印象に残るのは彼女だ、とも言えなくもないので、意外ではないのかもしれませんが。

今回初めて知った事実の中に、セイント・フォーは4人のうち歌担当とバックダンス担当とで2人づつに分かれていた、というのがありました。SPEEDと同じですね(笑)。テレビで見てた当時は気づきませんでした。

セイント・フォーも、今となっては、時代の徒花でしかなかったのでしょうね。オーディションを勝ち抜き、過酷なレッスンに耐えてデビューするも、思うように売れず試行錯誤を余儀なくされたあげく、解散・再出発という道を選ばざるを得なかった彼女たち。ヌード写真集を出したのは、まだ芸能界で頑張るのだ、という決意表明なのか、失意の中で“もうどうでもいい”と開き直った末での行動だったのか。メンバーの多くは、今もまだ芸能界で活動しているそうですが、“セイント・フォーは貴重な青春の1ページ”という境地に達しているのか。ショービジネスの世界で消費されていったアイドルたちを思い出すと、いつもそのことが気になります。「あの人は今」的な企画に堂々と出てくるようであれば、彼女たちの青春は決して無駄ではなかった、とホッとするのですが(笑)

アイドルは、ある一時期にしか出来ない、とかつては僕も思っていました。しかし、今となっては、アイドルと呼べる年齢ではないのにもかかわらず、立派にアイドルとして活動している人たちもいたりなんかして、改めて“アイドル”という言葉の意味を考えたりしています(笑) ま、誰にでも、その人なりのアイドルが存在し、それは決して色褪せるものではない、という事なんでしょうかね?(爆)と無難な締めですいません(爆爆)

fxhud402さん、次回もよろしくお願いします m(_ _)m


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