みんなの名盤

投稿No.021 K.Yさんの

今も心に残るライブ盤 10選 VOL.2

JOHN LEE HOOKER - LIVE AT SOLEDAD PRISON

今は亡きブルース界の大御所、ジョン・リー・フッカーの刑務所に於けるライブアルバムである。
レコーディングは1972年6月11日、このライブ会場になったソールダッド刑務所は、カリフォルニアに位置し、
ブラック・パンサーのメンバーであり、ソウル・オン・アイスの著者としても知られるエルリッジ・クリーヴァーが
居たところとして,問題になったり有名になったりしている。
さて、当の主人公ジョン・リー・フッカーは戦後初めてスターになったカントリー・ブルースマンでもあり
ブギ・ウギをカントリー・ブルースに持ち込んだ最初の人でもある。
また彼は後年、1989年にはローリング・ストーンズのアメリカはアトランタに於けるスティール・ウィールズ・
ツアー最終日のステージにエリック・クラプトン、ガンスアンドローゼスのメンバーらと共に客演している。
ところで刑務所でのライブアルバムとして、これ以前に有名なものとしてはカントリー・シンガーの
ジョニー・キャシュ、またジョン・リーと同じくブルースマンではBBキングのライブアルバムが有名ではあるが
ジョン・リーのこのライブアルバムも2人に勝るとも劣らない素晴らしい出来である。
また、バンドのギタリストに名ギタリスト、ルーサー・タッカーが参加していることにも非常に興味をそそられる
一方、ジョン・リーの実の息子、ジョン・リー・フッカー・ジュニアもボーカルで2曲参加している。
囚人たちも普段はライブと接する機会がないだけに、その盛り上がり方はスゴイ!!
曲はまずジュニアのボーカルでSUPERLOVERからスタートするが曲の合間にCAN YOU DIG IT! という
ジュニアの掛け声と共に囚人達からYEAH!という大歓声が起こる。
いかにも最初から盛り上がっている感じだ。また次の曲、I'M YOUR CROSSCUT SAWでもオープニングの
曲同様、当初、本当に黒人が弾いているのか?と到底思えないようなロックっぽい弾き方で驚いた記憶
がある。
3曲目のWHAT THE MATTER BABYからようやくジョン・リーの登場である。
相変わらずドスの効いたボーカルは迫力満点である。御本人も久々のライブ・レコーディング、
それも刑務所でということでもあり、囚人を前によりいっそう張りきっている姿が目に浮かぶようだ。


ALBERT KING - BLUES POWER

ご存知ブルース界3大キングの一人、アルバート.キング。
このアルバムは1968年サンフランシスコにあった有名なフィルモア・ウエストに於けるライブアルバムである。
また、1990年には同時期の1968年6月26日と1968年6月27日の未発表ライブテイクが、それぞれ
WEDNESDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO、THURSDAY NIGHT IN SAN FRANCISCOとしてCD化されて
発売された。アルバート・キングについてはもはや説明するまでもないだろう。
その独特のギター・スタイルは英米問わず、その影響力は絶大である。
特にイギリスのギタリストに与えた影響力は絶大であり、アメリカに於いては、すでに亡くなってしまったが
スティービー・レイ・ボーンあたりはモロ受けであり競演までしている。さて、この頃のフィルモア・ウエスト
と言えば時代的にアメリカではベトナム戦争、徴兵拒否、現実からのドロップアウト、ドラッグ・カルチャー、
いわゆるヒッピー文化真っ只中の熱い時代の頃である。
出演していたバンドもグレートフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、クイックシルバー・メッセンジァー・
サービス、スティーブ・ミラー・バンド、イッツ・ア・ビューティフル・ディ、レコード・デビュー以前のサンタナなど
挙げ出せばキリがないが、その他数え切れないほどの地元バンドが連日、日替わりで頻繁に出演していた
頃である。
またクリーム、フーあたりのブリティッシュバンドも時折出演していた。
そんな時代、黒人のブルース.マンが白人の間でジワジワと人気が出始めた頃でもあり、フィルモア・ウエスト
に於けるアルバート・キングの出演は正に真打登場と言えよう。
曲はまずジャズ・ピアニスト、ハービー・ハンコックのWATERMELON MANからスタートする。司会者が
アルバート・キングを紹介するやいなや大歓声と共にギター・ソロへと流れる。2曲目のBLUES POWERから
は余裕のアルバート節が展開する。歌はどちらかと言うと、うまい人ではない。ギター・フレーズも悪く言えば
ワン・パターンだし必殺ワザも少ない方だが音には独特の色気があり、それが何ともいえない魅力のひとつ
である。
また、この人はピックを一切使わずに指で弾いている。かつて私も来日公演を見た時に感激した憶えがある。
身長2mはあるのではなかろうか?と思えるその巨体!それにものすごくデカイ手! 彼のトレードマークでも
あるフライングVがやたら小さく見えたものだ。
しかし、あの巨体に抱かれたギターから発する音はなんとも迫力があり危うく昇天しそうになりかけたと
言ったら大げさか。(笑)
また3大キングの中でも、この人のギター・フレイズは、もっともコピーしやすく当時の英米のブルース・バンド
に於けるギタリスト達がこぞってマネをしていたのもよく解る。このアルバムも学生時代から幾度となく聞いた
ものだ。彼のライブアルバムの中でもベストの作品であろう。
また、ある時は聞きながら自分でもギターを持ち、彼と同じようにフレーズをなぞったことも
今思えば懐かしい。


OTIS REDDING - LIVE IN EUROPE

今は亡きソウル・ミュージックの大御所、オーティス・レディングの生前フランスでおこなったライブを
収録したアルバムである。
これはアメリカのスタックス・ボルト・レコード会社に所属するアーティストといっしょにヨーロッパ・ツアーを
行なった時のライブからのもので1992年には、その時の未発表ライブテイクを集めてSTAX/VOLT LIVE IN
EUROPE VOL.3としてイギリスで発売されている。この時のメンバーがこれまたスゴイ。オーティスを筆頭に
サム&デイブ、エディー・フロイド、カーラ・トーマス、アーサー・コンレー、バック・バンドにはブッカー・Tアンド
MG'S、ザ・マーキーズというそうそうたる面々。実際、このようなショーが生で見られたとうのだから
素晴らしい時代ではないか。誠に羨ましい。また、オーティスほど英米のシンガーに影響を与えたソウル・
シンガーはいないだろう。後に続く黒人シンガー達はもちろんイギリスのロック・シンガー達に与えた影響力
は絶大である。
特にボーカリスト、ポール・ロジャースは節回しにもこの人の影響が顕著に表れている。さて、収録されて
いる曲そのものは、彼の代表作と言ってもいいぐらい素晴らしい出来のものばかりである。
アップテンポの曲では独特のノリの良さが気持ちいいし、一方スローな曲では今にも泣き出したいほどの
感情表現の素晴らしさは他に例を見ない。彼こそ正に天才シンガーであると大声で言いたい気分である。
このアルバムではビートルズのDAYTRIPPER、ローリング.ストーンズのSATISFACTIONを取り上げているが、
特にストーンズのミック・ジャガーはオーティスに歌ってもらえたことに対し、加えて曲の出来の素晴らしさに
於いても手放しで褒めちぎり大喜びしたそうだ。また、バックを務めるMG'Sの演奏も抜群だし何よりも
オーティスのステージングに於ける旨さというものをこのアルバムで垣間見ることが出来て興味シンシン
である。
もう2度と表われることがないであろう最高のソウル・シンガーがここにいる。
しかし、天才とは悲しきもの。彼もまた、これからというときに1967年、飛行機事故により27歳の短い生涯を
終える。
彼が生きていたらソウル界は必ずや変わっていたに違いない。それだけ彼の残した業績は余りにも
大きすぎる。
私は今もなお愛聴覚している一枚である。


JANIS JOPLIN - JOPLIN IN CONCERT

1972年発表のライブアルバム。
アナログでは2枚組だったことが懐かしい。
私は今でもこの人のことを時たま思い出しては聞いている儚くも悲しいファンの一人である。
どんなアルバムを聞くかは、その時々によって違うが、余裕を持って選べるほどこの人の残した遺産は
余りにも少な過ぎる。1970年に他界して以来、今年で33年間という時間が過ぎようとしているが現時点に
於いて彼女のフォロアーがまったく現われていないということ自体,やはり彼女もある意味、ジミ・ヘンドリクス
同様、唯一無比、ワン・アンド・オンリーの人だったのだ、と勝手に解釈している次第である。
このライブアルバムは彼女の死後、2年の月日を経て発売されたアルバムで録音は68年3月の
BIG BROTHER&THE HOLDING COMPANYから1970年7月の自身のバンドFULLTILTBOOGIE BANDでの
2バンドにまたがる音源を収録したものである。収録曲は全部で16曲。
しかし、今思うとよくもまあ、このような自己表現が彼女の体から自然に放出されたものだと思うと
信じられない気分になる。
しかるに、まだ27歳にもならない一人の女性がこんなに巨大なエネルギーを放っていたかと思うと
尚更ではある。
彼女もまたブルースという音楽を用いて自然にブルースを自分なりに消化し、真の自分なりのブルースを
表現出来た数少ない白人シンガーの一人である。
世間ではジャニス・ジョプリンという人は女性ロック・シンガーだと思っている人がほとんどであろう。ある意味、
それは間違いではない。しかし、心の訴え、心情というものは明らかにブルースである。
やはり彼女が学生時代から聞いていたビリー・ホリディー、オデッタ、レッド・ベリー、ロバート・ジョンソン
といった黒人シンガー達の歌が彼女のバック・ボーンとして知らず知らずのうちに形成されて行ったから
であろう。1942年生まれの彼女も現在生きていれば61歳。はたしてどのような歌を歌っていたのだろう
と思うことはあるにはあるが、やはりブルースであってほしい。
今でも私は彼女のことを最高の白人女性ブルース.シンガーだと思っている。


HUMBLE PIE - ROCKIN' THE FILLMORE

1971年発表の彼等の5枚目にして初のライブアルバムである。
録音はこれまたライブの名会場、ニューヨーク・フィルモア・イーストである。
私はロック・ミュージシャンに於いてフィルモアでプレイすること自体、何か特別な意味があるように
思えてならない。
ここで録音された英米問わず、ミュージシャンのライブアルバムには名盤と呼ばれるものが結構多い。
それほどミュージシャンに於いても、また観客に於いてもここは独特の空気たるものが流れ続けている
場所でもあり、ある種、聖地でもあるのだろう。
さて、ハンブルパイがここでライブを展開したのは1971年5月のことである。
ちょうど前作ロック・オンでやっと自分達のサウンドを確立し、それに伴うアメリカツアーで各地を転々と
していた頃である。
メンバーのひとりスティーブ・マリオットはスモール・フェイセス時代には白人とは思えないような黒っぽい
ボーカルで同じくイギリスの同世代のミュージシャン、スティーブ・ウインウッドと人気を二分していたし、
数々のヒット曲を連発し、コンサートは常に満員、一方、当時のイギリスのティーン向けのファッション雑誌の
表紙を飾るほどの服装面でのセンスの良さには定評があり、ついにはアルバム、オグデンがイギリスの
ヒット・チャートのNO.1に輝く。
しかし、他のメンバーとの音楽性の違いから脱退し、過去の栄光を蹴って新たにスタートに踏み切ったのが
このハンブルパイだったし、とにかくマリオットはスモール.フェイセス時代に成しえなかったこと、
つまりアメリカでの成功を願っていたのた。
このアルバムはアメリカでの大成功を目前に控えている彼等をとらえたものである。
でも、今改めて聞くと、こと演奏面に於いてはおせじにも余り優れた演奏とは言い難い。でも熱気だけは
十分伝わってくる。
それに今でも色あせていないのはやはり時代を超えたマリオットの素晴らしいボーカルである。
特にI'M READYではジワジワと観客を引きつけて行く彼ならではの独特の節回しとその演出力はさすが
の一言に尽きる。
一方のギタリスト、ピーター・フランプトンはどうも影が薄く、マリオットとの音楽性の違いは決定的で
彼にはこのアルバムで聞かれるようなハードなサウンドよりもどちらかと言えば、むしろメロディー追求型で
以前の素朴なアコースティック・タイプの曲の方がおそらく好みだったのであろう。
それを裏づけるかのように、ここでのライブ・パフォーマンスから数ヵ月後の1971年秋に脱退している。
また、フィルモアでの観客の反応の良さに自信をつけたのか、各地でも熱狂的なライブを展開し
アメリカでもパイの人気はその後うなぎ昇りとなる。
また同時期にイギリスではハイド・パークにてグランド・ファンク・レイルロードの前座も務めている。
ステージに上がったマリオットは自分達の演奏を始める前に観客に向ってオレたちはここ何年間もの間、
グランド・ファンク的な音楽をやってるが彼等はまだまだ新人じゃないか!そういう意味ではむしろ
グランド・ファンクがオレたちに似ているんだ!ということを言った。
マリオットにすれば、こんな新人に食われてたまるか!という意地をみせたかったのだろう。
解る気がするではないか。
話は反れるが、2年後の1973年5月、バック・コーラスのブラック・ベリーズを引き連れ初来日の
大阪厚生年金大ホールにて私は念願であった彼等のライブをついに見ることが出来た。
さて、内容は? 悪かろうはずがない!!
オーバーオール姿にレスポールを持ち、汗だくでマイクを握り締めて体全身で歌うマリオットは
素晴らしかった。
今でもその時のことが走馬灯のように蘇えってくる。
そんなバンドにとってこれから全盛期を迎えようとしている汗だくのパイがこのROCKIN' THE FILLMOREで
聞ける。
大成功はもう目の前に来ている。


DEREK AND DOMINOS - IN CONCERT

1973年春、突然発表されたライブアルバム。
このアルバムも名会場フィルモア・イーストでのライブである。
レコーディングは1970年10月23、24日の2日間に渡り行なわれたライブから編集されたものである。
また、この時点ではアルバム、レイラはレコーディング自体はすでに完了していたが未発売状態だった。
日本に於いては1971年5月に発売されて以来,ドミノスのアルバムはレイラ一枚きりかとおもっていたら
突然2枚組のライブアルバムが発売されたのだから個人的には当時、非常に驚いたと同時に嬉しかった
ことを記憶している。
かつてのクラプトンはギブソン系のギターをマーシャルアンプに通し、流麗でかつ攻撃的なプレイで、
とにもかくにも鋭かったギタリストという、ある種,固定されたイメージがあったが、ここではまるっきり、
ひょっとして別人か?と思えるようなトーンに変わっているではないか! まずはギターである。
それまで使っていたギブソンからフェンダーに変え、アンプもそれまでのイメージの強かったマーシャルから、
ここではフェンダー・デュアル・ショーマンに変え、ややダーティーとも思えるトーンで迫っている。
この時のステージの模様を写真で見るとギターはサンバーストのフェンダー・ストラトキャスターを
使用している。
ひょっとして、このストラト!レイラ・セッションで使った、それもアルバムの裏ジャケットに写っているもの
と同じギターなのだろうか? 同じだとすれば数年前にオークションで落札された、あのストラトか!
落札価格は6000万円というトンデモナイ値段がついていたが。。。
このアルバムも(私は今だ未聴だが) 1992年頃に完全盤としてCD2枚組で発売されているから、
そちらの方がその日の演奏自体の流れから考えても把握しやすいのではないだろうか。
さて、ちょうどこの頃のクラプトンと言えば、薬物によってジワジワと体が支配されつつある時期でもあり、
決して絶好調とは言えないまでも、いったんステージに上がると水を得た魚の如く、いきいきとした素晴らしい
プレイを発揮するのだから、そのプロ根性はたいしたものであると言わねばならない。
久しぶりに聞いてみたが、アルバム、レイラで聞かれるような、いわゆる南部志向というサウンドはライブに
於いては余り表面には出ず、どちらかというとルーズでハードなサウンドを展開していたようだ。
またLET IT RAINで聞けるようなジム・ゴードンのドラム・ソロもライブを見ているのならともかく、
ディスクを聞くにあたってはちょっと長すぎる感じがしないでもなく、曲によっては、ややタレ流し的な部分も
感じられないことはないが。
また、これは私の個人的な意見だが、もうひとつ演奏自体に精彩さを感じられないのだ。おそらくバンド内で
渦巻く人間関係,もしくはレイラ以降のバンドの進むべき方向性。また外部からのバンドへの圧力。
実際、クラプトンの体調不良が当日あったのかどうか、まったく知る余地もないが、はかなくも散る花の如く
短命で終わる彼等ではあったがレコード会社が勝手に発売に踏み切ったこととはいえ、
こうしてライブアルバムを残せたということだけでもファンとしては素直に喜びたいものだ。
これはその時の貴重な記録である。


PAUL McCARTNEY - BACK IN THE U.S / LIVE2002

さてさて、ポール・マッカートニーとは意外ではないか! と思われている方も多いであろうが、
最近のライブアルバムとしてはよく聞いているのであえてここでとりあげることにした。
最近また、このアルバムに収録されている数曲を入れ替えてBACK IN THE WORLDというタイトルで
新たに発売されたりもしている。
また、個人的には昨年の来日の際、大阪ドームにてライブを体験した意味もあり思い出深いアルバム
でもある。
しかし、還暦とはいえ、このアルバムに含まれている30数曲をほとんど毎日かのように歌い、ステージを
こなしているポールにはまったくの脱帽である。
ゆえにポールと同世代のオヤジがカラオケでも、これだけの曲数はまず立て続けには歌えないであろうと
いうことを考えること自体、低俗的発想か?(笑)
それにしてもこの人のパワーは素晴らしいの一言である。
ある時はベース、ある時はエレキ、もしくはアコースティック、ある時はピアノ、ある時はウクレレと
忙しい人である。
またアコースティック・セクションでは他のメンバーは一旦ステージ裏へと引っ込むのだが、この人だけは
全試合フル出場である。(笑) このアルバム、ほとんどの曲が大ヒット曲でもある。
やはり、ミュージシャンともあろう人はこれだけヒット曲を持っているということ自体、絶対的な強みである。
またライブを見に来ているファン層の広いこと。これも絶対的な強みである。
しかし、何処へ行っても、どんな国に行こうとも熱狂的歓迎を受けチケットは即、完売、会場内、会場外でも
グッズが飛ぶように売れ、会場周辺にはダフ屋がうろついているという光景を目撃すること自体、
まさに脅威としか言いようがない。
今が旬アーティストならともかく普通なら考えられないことである。
やはり、元ザ・ビートルズと名前が付けば、これほどまでに違うものなのか!
こういう言い方は良くないが、もはやここまでになると,もうブランド品である。
グ○チ、ビ○ン、エル○スといったブランド品といっしょではないか!
マッカートニー・ブランドである。
決して貶しているのではない。
これはいい意味で言っているのてあるからして誤解のないようにお願いしたい。
このような人は後にも先にもまず出てこないであろうし、いずれ出てくるにせよ、まだまだ時間が
流れないとこのような、ある種カリスマ的存在の人は現われないであろう。
今ではロック.コンサートも大規模になり、ほとんどがアンコール含め約2時間30分前後が多い。
ポールのライブは前座の異次元的なショーも含め約3時間のステージ。
これをずっと続けていく訳だから60歳の人間にとっては我々一般人には解らないプレッシャーも
あるだろうし体調も万全でなければならない。若い時にはコンサート・ツアー中に多少なりとも無茶も
しただろうが、この年になると無茶は効かなくなる。
そういう意味でも普段からの自己管理は大変であろう。ということを考えながら会場に入りライブが始まると、
そんなことは一切心配する必要のないパワフルなポールがそこにはいた。ビートルズと共に青春を送った人。
また、今が旬の音楽を聴いてそうな若い人。世代的には、おそらく3世代には分かれていたであろう。
この時のコンサートは実に素晴らしいものであった。そんな感動がこのアルバムにはいっぱい詰まっている。


CHARLIE CHRISTIAN - JAZZ IMMORTAL

邦題はミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャンである。
ジャズ・ギタリストの始祖、彼の余りにも有名なアルバムである。
ジャズ・ファン、いやそれ以上にジャズ・ギタリストを志す人にとっては、まず避けては通れない
巨大な壁である。
このアルバムに納められている曲はニューヨーク・ハーレム118丁目にあったミントンズ・プレイ・ハウス、
及び西133丁目にあったクラーク・モンローのアップ・タウン・ハウスでおこなわれたジャム・セッションを
収録したものである。
レコーディングは1941年,5月何と太平洋戦争が始まる半年前というのだから相当古い!! まだこの頃は
テープレコーターが無かった頃でもあり、使われた機材は携帯用ディスクレコーダー。
シェラックのディスクにスタイラス(針)で刻みつけたものである。
そんなはるか昔の録音であるがクリスチャンのギター・プレイは今なお燦然と輝き続けているのだ。
この頃のエレキ・ギターの役目は、ことジャズに於いてはリズムとコードを送り出す楽器に過ぎなかったが
彼は当時ギターでサックスのようなフレーズを作り出し、それまでのギターの役割を根本から変えてしまった
偉大なパイオニアである。
そんな演奏がアルバム一曲目を飾るSWING TO BOPで十分に堪能出来る。
この曲は彼の最高傑作とされている曲である。私は強制はしないが機会があれば是非一度聞いて
いただきたい。
ジャズ・ファンばかりではなくロック・ファンの方にも一度聞いていただきたい演奏なのである。
エレキ・ギターに於けるすべての原点がここにはある。
当時から彼は信じられないようなプレイをしていたのだ。ロック・ファンの方にはギタリストである
ジェフ・ベックはご存知であろう。彼のインタビューその他、雑誌等では必ずと言っていいぐらい
チャーリー・クリスチャンという名前がジャンゴ・ラインハルト、レス・ポールといったギタリストに混じって
出てくる。ベックはかなりクリスチャンの影響をジャンゴ、レス・ポールという2大巨匠と共に受けている
ギタリストである。
極端に言えばベックが現在おこなっているようなギター・プレイをはるか昔この時代にクリスチャンは平然と
プレイしていたのだ、といえばこれは余りにも大げさか!(笑)
しかし、ニュアンスは解っていただけると思う。ことギタリストに於いてはお手本があるわけでもなし、
ましてやライバルなど存在しない時代。無から作り出していくこの無限の想像力は今だに信じられない
気がするが現にやっていたのだ。
それも黒人の22歳の一人の男がである。
正に脅威としか言いようがない。
またジャズ史上、最も重要なこのアルバムは現在CD化され再審の技術によってかなりの程度に
修復されている。
耳をかたむけると戦前の場末のクラブでのざわついた雰囲気、客はほとんどが黒人であろう。
誰に言ったのか、HEY! という声まで聞こえるではないか。素晴らしい。このような演奏が聞けること自体、
夢のようだが、この演奏をテープに収めたアマチュアのジェリー・ニューマンに敬意を表したい。一方、
残念ながらクリスチャンはその後、肺結核が悪化してニューヨークのステイトン・アイランド病院に入院したが、
1942年3月2日23歳の短い生涯を終えた。


THE KENNY BURRELL TRIO - A NIGHT AT THE VANGUARD

今や押しも押されぬジャズ・ギタリストの大御所、ケニー・バレルのライブアルバム。
それもジャズ・クラブの名店、ビレッジ・バンガードに於けるライブとくれば悪かろうはずがない!
とハッキリここで言い切ってしまわずにはいられないほど<ここでの彼等は素晴らしい演奏を聞かしている。
名手ケニー・バレル。長年ジャズを聞いている人の中でこの名前を知らない人が、もしいたとしたら、
ハッキリ言ってモグリ!と声を大にして言いたい。
それほどこの人は自身のアルバム、バンド活動、その他ジャズ・プレイヤーのアルバム参加、
また気の合う仲間たちとのセッション・ワークと常に多忙な人である。
このビレッジ・バンガードに於けるライブは1959年9月16、17日からのベストテイクを収録したものである。
当時28歳のバレルのサイドメンを務めたのはウッドベースがリチャード・デイビス、ドラムがロイ・ヘインズ
というツワ者である。全部で8曲収録されているが、どれもこれもバレルの洗練された魅力がたっぷりと
味わえる。また彼が参加したアルバムは数え切れないがこのようなトリオ編成のプレイにこそ、
もっともバレルらしいプレイが味わえるのも確かである。
そのバレルの魅力とは?
都会的で洗練されたセンスと黒人ならではのフィーリングが一体化となって生み出される歌心、
スウィング感にあると断言しよう。
特にジャズ・ギターに興味をお持ちの方にはこのアルバムをオススメしたい。
3人が繰り広げる素晴らしきインタープレイを機会があれば是非味わっていただきたいものである。
ジャズ・トリオの演奏とはこのようなものなのだ、というひとつのサンプルがここにはある。
しかし、3人共,さすがにベテラン揃い。
抑えるべきところは押さえ、出るべきところは出る。ツボを的確に抑えた名演である。
このアルバムも私がジャズにのめり込んでいくキッカケを作ったアルバムでもある。
また、ケニー.バレルは私が10代後半、ジャズ・ギターに興味を持ち、ジャズに必要なコード、スケール、
理論等、彼のレコードを聞きながら自分でフレットをなぞり練習させてもらった私のギターの先生と勝手に
決め付けてしまっていたぐらいに大好きなギタリストである。話は飛ぶが、もうかれこれ20数年前に京都の
某ジャズ・クラブで彼の演奏を目の前で見たが、その名人芸にはまったくの脱帽であった。アンコールでも
ギター一本で演奏してくれたが思わずため息が出るほど素晴らしかった。
演奏終了後、知人の紹介で彼と少し話す機会が持てたが人間的にもすごく紳士で立派な人であった。
また、奥さんが日本人なので彼もちょっとは日本語がしゃべれるようではあったが。(笑)
今では良き思い出である。


HORACE SILVER - ビレッジ・ゲイトのホレス・シルバー

このアルバムも1970年、初期にジャズ喫茶で良く聞いていたアルバムであると同時に今も私の愛聴盤の
一枚である。
このアルバム、人からガンコと言われようが今もなおアナログ盤でしつこく聞いている。アナログには
アナログの良さがあるのである。特にアナログ盤は、まろやかな音質に付け加え時代の空気までも針が
刻んでくれるようで、そこがまた何とも言えない良さなのである。録音は1961年5月19、20日、
ニューヨークの人気ジャズ・クラブ、ビレッジ・ゲイトにて。
いかにもピアニスト、ホレス・シルバーらしいファンキー・チューン満載なアルバムである。1曲目の
FILTHY McNASTYからしてゴキゲンである。昔この曲がジャズ喫茶でかかるとお客の頭が皆揺れたものだ。
今見ると怖いが(笑) とにかくこのアルバムは素晴らしい。メンバー全員一丸となって火花が散るような
すさまじい演奏を展開している。
そのことは2曲目のDOIN' THE THINGで明らかである。ジャズの醍醐味がここにはある。かつて私が
一度騙されたと思って聞いてみろ!と言ったら案の定、この曲でジャズが好きになったという人が
私の周りには何人かいる。それだけここではジャズが持つ熱気というものが炸裂している。
この曲を聞き、これで気分が良くならないという人がいるとすれば、その人は間違いなく重病である。
入院したほうがよさそうだ。
それだけここでは皆のテンションは上がりに上がっている。また、ジャズは難解だと思われている方も
おられるには違いないが決してそうではない。何も知らずに初めからフリージャズに突入すれば何のことか
さっぱり解らないであろうが、入り口さえ間違わなければ、これほど楽しめる音楽はない。
ファンキー・ジャズとはどのような音楽なのか? ということを知りたければ、このアルバムを聞かれることを
オススメする。

P.S
さて今回も以前からよく聞いていたアルバムを10枚、自分なりに選んでみました。
ジャンル的にはブルース、ソウル、ロック、ジャズと分かれましたが中には珍しく最近のものも選びました。
どれもが以前からよく聞いていたものばかりですし必ずしも個人的にはアルバムの出来が最高とは
言えないものもあえて選んでいます。これは個人的な意見ですがアーティストも人間である以上
いろんな状況の中、必ずしもベストな状態でない時もあるでしょうから、そのへんのことを考えながら
読んでいただけたら幸いかと思います。なお、今回投稿するにあたり曲そのものへの思い等は最小限に
とどめ、私がこれらのアーテイストに対しての視方、時代背景、個人的な思い出等、などを中心に
纏めさせていただきました。何ゆえ少なからず熱くなり過ぎた部分もなきにしもあらずですのでその点は
どうかお許しのほどお願い申し上げます。 では、また!!



MFCオーナーの感想
K.Yさん、3度目の投稿、大変ありがとうございます。
本当によく聴いていらっしゃるのですね。感心してしまいます。今回もジャズを中心にした10枚、お馴染みの熱いコメントと共に興味深く拝読させて頂きました。いいんですよ、個人的な思い入れをどんどんぶつけて下さっても(笑)そっちの方が嬉しいです。
これを見ている皆さんの中にも、なんとなくジャズ、それも「枯葉」や「ムーンライト・セレナーデ」ではないジャズに興味をもってしまった方も多いでしょう。そういった方々からの、例えば「ケニー・バレルを聴いてみたら凄く良かった」なんて感想も是非聞かせて頂きたいものです。
僕としては、アナログ・レコードに関するコメントなど、共感できる部分もあって大変嬉しかったです(笑)Vol.3も是非投稿下さい。お待ちしてます。


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